マダガスカル島(ディエゴスワレズ)攻撃の概要

ハワイ作戦において、特殊潜航艇は戦艦1隻撃沈の戦果を得たものと認められた。この戦果にかんがみ関係部隊及び搭乗員から兵器を改良して引き続き特別攻撃を実施すべきだとの意見が述べられた。

聯合艦隊司令部は真珠湾攻撃によって実行の可能性を認識し、兵器の改善と充分な訓練によって相当な効果を期待できるものと考え、これを積極的に使用する気運になってきた。ハワイからクェゼリンに帰投した「伊16潜」は直ちに帰投して交通塔の工事を行い、訓練に従事した。

兵器の改良については油圧操縦、母潜との交通塔、水中聴音機、防材乗り越え用の「そり」、ジャイロの改良等が行われ行動の確実性を向上すると共に訓練が実施された。

昭和17年3月、八潜戦が編成されて第2時特別攻撃を担当することとなった、先遣部隊指揮者は、八潜戦等に対して次のような兵力部署を示した。
甲先遣支隊 八潜戦司令官 伊十 伊十六 伊十八 伊二十 伊三十 報国丸 愛国丸
乙、丙先遣支隊 略 以下同じ
作戦海域 甲先遣支隊 印度洋(アフリカ東岸)
主要任務 敵主要艦艇の捜索、攻撃
海上交通破壊

作戦計画の要旨
甲先遣支隊は4月中旬内地発、ペナンに進出して特殊潜航艇を搭載する。「伊十、伊三十潜」の偵察により敵主要艦艇の在泊を確認したならば、各潜水艦は集中して攻撃を行う。特殊潜航艇の発進時期は、日没後1時間以内又は月出後1時間以内とし、同夜攻撃のうえ翌朝までに搭乗員を収容する。当夜収容不能のときは、第三夜まで収容に努める。
この作戦要領は、ハワイ作戦と異なりあらかじめ攻撃地点を定めず、潜水艦搭載航空機の偵察により敵主要艦艇の所在を確認のうえ攻撃地点を定めるものであった。
攻撃の実施
各潜水艦は4月16〜17日呉軍港を出港し、20〜26日までにペナンに進出した。「伊三十潜」は22日、「伊十六,十八、二十潜」は特殊潜航艇を搭載し「伊十潜」と共に4月30日それぞれペナンを進撃しダーバンに向かった。
先行した「伊三十潜」は、アデン(5.7)ジブチ(5.8)ザンジバル(5.19)ダレサルム(5.19)の飛行偵察、モンバサ(5.20)の潜航偵察を行い、有力艦艇の不在の旨を報告した。
甲先遣支隊の主力は途中報国丸などから補給を受け、5月17日マダガスカル島南端から300浬に達し展開した。「伊十潜」(石崎司令官乗艦)は20日ダーバンを飛行偵察したが有力艦艇を認めなかった。これらの情報により石崎司令官はディエゴスワレズに攻撃を指向するに決し、「ディエゴスワレズ方面に敵を求めて攻撃す。敵主要艦船在泊する場合の攻撃を5月31日・・・・」と発令した。
この間荒天により書く潜水艦の機械故障が続きこれがため「伊十八潜」は特別攻撃の実施が不可能となった。
5月30日、「伊十潜」搭載機はディエゴスワレズを偵察して、エリザベス型戦艦一隻、巡洋艦一隻、その他の在泊を認め、石崎司令官は31日0230特殊潜航艇による攻撃を実施する命令を下した。
「伊二十、伊十六潜」は31日午前零時頃それぞれ湾口付近から特殊潜航艇を発進させた。
その搭乗員は伊二十潜、秋枝三郎大尉、竹本正己一曹、伊十六潜、岩瀬勝輔少尉、高田高三二曹であった。
特殊潜航艇の戦果
八潜戦司令部では
  1. 攻撃直後の飛行偵察では、港内に駆逐艦および大型貨物船が在泊するだけであった。
  2. 「伊十六潜」は予定攻撃時機にディエゴスワレズ方面に火災を認め、「伊十潜」は吊光弾らしいものを認めた。
等の状況から敵有力艦艇を撃破したものと推定していた。
戦後の調査によれば戦艦ラミリーズ(29,150t)及び英油槽船ブリティッシュ・ロイヤル(6,993t)を攻撃したことが確認されている。また英国側の資料によれば数日後ディエゴスワレズ北方約20キロ(会合点の方向)で2名の日本軍人をパトロールが発見し降伏を拒否したので射殺したとなっており、携行していた紙片に「伊二十潜艦長」あてのメモがあったことからこの2人は「伊二十潜」から発進した秋枝大尉のペアーであったのではないかと推定されている。

戦死の地には「特潜会」等による慰霊碑が建立されている。マダガスカルに眠る特殊潜航艇を守る会による慰霊式典や吹田会長とマダガスカル政府との会談の写真を以下に何枚か紹介する(平成9年5〜7月)。